欲しいと思うものを手に入れようとすれば

本当に望んでることってつまびらかにできないもので、

たとえばゴリゴリのマッチョイズムに合わせちゃったりすると
それこそ絶対口にできないんだけど、

端的に言うなら、自分の時間を安売りはしたくないってことになる。



時給労働はまだいい。
誠実だ、お金っていう対価を払ってくれるんだから。
ところにより、保証までつけてくれる。

最悪なのは、誰かの時間を奪って何とも思わないことだ。

時間に対する対価の払い方って、抽象化しがちな分むずかしいし、
逆に恐れて自分から誰かに突っ込んでいけなくなったら、本末転倒なんだけど、

誰かの時間を奪って何とも思わないのは、そもそも、
他人が自分をどうにかしてくれるって前提を根っこに持ってる証拠だと僕は思う。




胸を借してくれた人をトリガーに自分をどうにかしよう、
・・・ではないから、
そういう人はあーだこーだ言うし「自分はこうなんだ」っていうのが強くて、
人がそれに合わせてくれないことに不満を持つ。

誰かの何かを奪って、ツケが回ってきたら、裏切られたって顔をする。

(゚Д゚)「あなたそれ、僕があなたにかまけて当然って顔するなら、僕が拒否れないような材料揃えて説得してみなさいよ、すでにショバ代分は大幅に超えてんですけど、あなた僕があなたのために無駄払い化したショバ代、出してってもし言ったら確実に不本意って感じますよね?」

と、いい年をした方※主に男性にけっこう言いかけて飲み込んだ。

自尊心傷つくだろうな(=面倒だな)と思ったから。

面目潰されたと判断した男が「敵」に向ける反応はそりゃもうすごい。
相手を上下のそれで見ていたらなおさら。
なめてたやつに歯向かわれたんだから、そりゃそうよね。
俺の見た目で判断して、「どーだすごいだろ!」ってツラしたい欲求盛り上げてるところ申し訳ないですね。



それも含めて、しかし反対に、自分の時間の価値を高めていきたい。

(゚Д゚)。o( こいつの相談に見せかけたつまんねーオノロケジブントーク聞くのに使った時間、普段の仕事と換算してかなりワリに合わなかったな、すし屋で1000円の貝頼んだら、回る100円ずしの流れてるほうのマグロ来ちゃったよ!みたいな損した感だな )

って時に、自分の時間の価値を自分で知らないと、延々と時間差し出してても、しかたねーなと感じてしまう。
いつか終わるだろう、いつかはわからん、と。

こういうものに関しては感覚ってとても重要だ。

お金100円の価値をどう感じるかで、財布のひもの硬さは変わる。
それと同じ原理なので、自分で依存と享楽以外でなんかものを買う人は、
重要さが伝わるはず。



ささやかに生きられればいいよね。

つまりド派手なのはいらないけど、
しかし僕の思う「ささやか」って人間社会とか日本社会とか、
世間とか一般とか、そういう、
常識と、不通と言う名のローカルルールと村八分がなにより物をいう空間では
かなり贅沢なことだから、

それをするには、ずっと立ったままでいるだけの、倒れない力がいる。

同町圧力に屈さないと殺される場面で、同町圧力を回避できるためには、
自分の足、地盤が強固である必要がある。

生きるだけなら簡単なんだ。死ぬほうが難しい。
生きた責任はとれるけど死んだ責任はとれない。
生きて、何をするか?
そしてそれは許されるのか?で引っかかることが少々ある。

僕の関係者が僕以外にいないなら、なんだってできる。
でもそうじゃないので、なんだってはできない。






あと、この雑記は、
相変わらずクドさの掃き溜めにしておこうと思った。

ロールモデルに付き従う影

ふと思った。

「生きるのが辛い」「生まれてきてごめんなさい」
「オレはやってやる!!(肩に力)」「デキる俺じゃないといけない」

そう思う人は、
自分の人生に対するロールモデルを一度手放すといいのかもしれない。
それは、諦めるって表現もできる。
もっと綺麗に、「明らめる」でもいい。

身体の質に合ってないロールモデルを、自分に課していると
生きるのが苦しくなる。無理矢理ギラついたことを言い出したりする。

生まれてきて今生きてることに対して、
そんな頑張って元を取ろうとしなくてもいいと思う。
思い入れを持つ場所を変えてみましょうよって思う。
与えられた価値観にもうちょっと抗ってみましょうよと思う。

だって結局、やることは、ロールモデル通りにできない自分を嫌って世捨てた態度を見せて、誰かに何とかしてほしいってヒヨコの給餌要求じゃないですか。
そんなことするくらいなら抗おうよ。そういうことする自分に。

ガストとかジョナサンのドリンクバーで「損したくない」ってなみなみとジュースを注いでも、結局ほとんどおかわりにも行けないんじゃ、却ってもったいないじゃないですか。
自己肯定感が低い人ほどこれをしがちだなと、観察していて思った。

いろんなもの飲んだほうが楽しい。
一つのもの飲むならいろんな飲みかたしたい。


自分自身が、自分にあってないロールモデルを押し付けられてきたから、思ったことなんですけどね。
今更鈍感にはなれないから、見え続ける立場からできることを探そうと思った。

ロールモデル(あるべき像)自体を捨てれば、彼らは苦しくなくなる。誰かに、苦しみとともにモデルを押し付ける必要もなくなるでしょう。
ロールモデルがそもそも苦しいものだって思ってるから、ひとにも苦しくなってもらわないと、確認して安心することすらできない・・・それは餓鬼の世界だ。地獄絵図でもいい。


ロールモデルっていうのは、人生のレールとも言い換えられます。

だったら、そのレールは自分でポイント切り替えする権利くらい、
取り戻してもいいんじゃないでしょうか。

自分自身の心に住んでる、命令的な誰かの言うことなんて、
もう、無力な子供じゃないんだから、聞かなくていいんです。
でないと、「あなた」が破壊されてしまう。

あなたしか、あなたを「あなた」足らしめることはできない。

ハラヘリ

やっぱりレトルト系保存食要素の一切混ざらない食事は必要だ
ということが身にしみてます・・・(´ω`)こらあかんで・・・

いや、別に出来あいやお湯で戻すものが悪いと言いたいわけではないです。
それでも生きていけるし、何も問題は無いという意見も耳タコです。
嗜好度合いの高い低いの意見も否定はしません。

ただ、自分の体質では、火で調理されてから間もないもののほうがよりありがたいという事実が転がっているだけです。
そう強靭な肉体でもないので、食ったら結構ダイレクトに影響が出るのが、27を超えてからよりその傾向が強くなったかんじですね。
食うもん食ってるから無理が利く、というのは、間違いないです。

何かが欠けるとうまい具合に体が動きません、もちろん甘やかさない範囲で。
大食いとか、何を食っても影響の無い医者もびっくりな強靭な肉体とか、そういうのを礼賛する相手には、異を唱えたいです。医食同源です。

それに、寝食足りて礼節を〜のとおり、寝食足りてない餓鬼の貪りは、威力的示威的で礼節に欠くよね。

飢えないようにしていきたいです。
単に腹が物で満タンになれば飢えてないとかそういうのではなくてね、意識してがっつきたいもの以外にがっつきたくなるような習慣は改めたいですね。

一度カラにしたい

このところ体感的にわかりやすく気が滅入っているっぽいです。
ともすればなにか変化の無いものに没入しそうで、したら現実に帰ってこられない気もします^^;
ソリティアとかそういう、単調な作業に単調なレスポンスを延々と返してくるものってだいぶ危ういっすよね・・・

とにかくひとりになれる場所で、1週間くらい何かに追われること無くぼーっとしたいです。
周囲のいろいろなものがこちらに迫ってくるように感じて、実際圧迫面接じみた、真綿で首を絞められるようなそういうものにも追われているので、理不尽かそうでないかはともかく、それらから解放されたいとおもわずにいられません。
解放されないまでも、情報をよこせと。情報も与えず何を判断させたいんだと。選択肢すらマスクされてちゃ分かんねーよと。

更に昨日、父方の祖母の姉が無くなったと連絡があって、そういうのも結構要因としては大きいです。
冷たい話ですが、人が亡くなったことに悲しみを覚えてとかそういう教条的な模範解答ではなく、「またか」「負担だな」「もうええわ」そういう感覚です。

何が負担かって、大抵こちらにまわってくる話には目的語と主語が抜けていて、情報もロクに無く「で、どうするんだ?」というスケジュール要請とか相手間違いの要求がほとんどだからね!


自己保身とか自己安楽ばっかり考えやがって!
楽したきゃ楽するための事前用意しろよ・・・自己正当化が先頭に来るから不具合が起こるんだよ

冬の痛覚

ティーバッグから、きゅうすと茶葉に替えたら、お湯のヘリが3倍になりました。
普段水分不足なら健康が捗るけど、エンゲル係数的にはどうでしょう。。。
あれね、延々飲むよね・・・


それから、ろくに長そでのTシャツすら用意できないまま冬になってしまいました。
感覚的にはまだこれから秋本番なんですが、たかだか1週間で異様に空気が痛冷たくなったので流石に寒い・・・かどうかはさておき、痛覚優位で辛い(物理)です(´ω`)

ただ・・・、パーカーの下は半そでだけど、どうせどこかスーパー以外の店とか入ったらそれでも背中の不快指数が上がる程度には暑いのはもう実感済みなので、脇汗をリカバリーしやすい半そで生活はしばらく続くと思います。
いやまじなんであんなに暖房ガンガンなんですかね、冬仕様でデパートとか大きな量販店行ったら上着と、最悪更に中身一枚脱がない限り確実に意識やられますもんね・・・w
風の強いガチ冬日なんかは外もデパート通路もどちらも敬遠して結局外通るわ、新宿のビル地下道は優しい。


いや12月だよ!冬だよ!ぜんぶ当たり前だよ!11月まで夏だっただけだよ!秋息してないね

休息

はじめてほんものの有給をもらったよ!
自分のポジションで出来る事も一旦ひと段落ついたので、五連休になるよう休んでみた。
明日からまた出勤ですが、これ以上休むとむしろ逆に休み疲れで気力が消えそうです(苦笑

5月末に亡くなった祖父関係の行事とそれにくっついてきた用事とイベントが11月で終わりました。正直長かったです。
きっと祖父個人だけなら、家出の身とはいえ大きな家なりのお気遣いとかはあるとは思うけど、その辺と再婚前の家族関係以外そんなに労苦は無かったんだろうな・・・とは思います。

祖母が何かドロドロ愛憎劇とか自己中系情念活劇を生産するたびに、周囲にストレスとトラブルが発生して、俺のほうにあれもやれこれもやれどれもやらないと駄目だってプレッシャーが来て、結局当日何も割振られないし蚊帳の外っていうのが春から半年続いてきていました。
感じた重圧を俺とかにも転嫁してなんとかメンタル保ってるんだろうなって思うから何も言いませんが・・・。でも、色々気負って余計なこと考え過ぎで、溢れた分を重圧感付加して押し付けるなら、せめて言った分の仕事はくれないと「俺って何なの」と考えざるをえません。
「自分にばっかりやらせやがって」「お前やることたくさんあるんだからな」→「お前分からないだろうからそこ座ってて」
不信感と理不尽感も募ろうというものです。向こうは向こうで受けまくった理不尽の一部を感情としてこっちに流してるのがよく見えるから、やはりなにも言えません。
何とかしようつっても、元凶の問題児に何か振ったら徒労と悪化のコンボっていうのがね。
叔母が実績込みでねぎらってくれたのがなかったら正直・・・
言葉っていうか音声は重要ですよ、心の中だけで決着つけるのは悲壮だったり陶酔感がある選択ですが、大抵のストーリーでも誤解のもとです。



とにかく、何か力を吸われるようなそういう、疲労に似たブラックホールがそこにあって、ちょっと「休みの日がある」くらいだと余計に体が動かなくなっていく状態がここ2カ月くらいずっと続いていました。(2ヵ月って書けばたったそれっぽっちですが、1年の6分の1くらいとか60日前後とか考えると結構な期間です、その程度なら、じゃないです、そういう根性論が取り返しのつかない病態を呼ぶんです、僕は体でよく知っています)


なんとなく、1人になりたいし1人にしてほしい感覚だったんですかね・・・



思い返せば、休みの日があると言っても、かならず誰かしらの話し相手をして、自分の用事すらままならない状態も続いていて、話相手にしても内容は相手の発散に付き合うのが主なら、途中からイライラしてきても当たり前かもしれません。

しかも大抵、カレシガネーカレシガネーかジョウシムカツクーが会話のほぼ9割で、ジョウシムカツクーのほうはまだしも、妹のカレシの行動報告(俺あいつ嫌い)とかどうでもいいし、早く話終わってほしいし、ノロけならまだ10分くらいは聞けますが、彼氏と何やった報告とか彼氏が何した報告なんて兄貴の俺じゃなくて「一緒に喜んで祝福してくれる女友達」とやってほしいよまじで。せめてカレシのほうが人間性的に好感度高けりゃもうすこし共感的に話聞けるけど・・・
大抵彼氏の行動報告をしてくる女の9割5分が、今の彼氏に満足してなくて間接的に彼氏を肯定してもらおうって無意識でもそういうハラがあるから、肝心の彼氏がイイ奴だった李俺の友達とかでもない限りその要求は満たせません。女子の皆さんにはそういう自己心理を自覚してほしい。せめて恋バナしたいならきちんと「恋バナ」として喋ってほしい。偽装系ノーマニュアルは俺のMPが辛い。自己愛と自己肯定を他人にゆだねるなよ、どいつもこいつも。だから逐一テンプレなんだよ・・・
あと平日でも関係なくAMの二時までその話をしなけりゃもう少しは・・・


そういう意味では、昨日今日は、いい感じにひとりになれたし、かなり充実した、いわゆる孤独行動をとれたので、かなり疲れは取れました。





休日特権である平日昼の散歩には行きそこねました。

平均年齢が上がっていった周囲のセージュク

若さゆえにもたらされる不満というのは、大概、「これじゃ快感の刺激が足りないよ」と言い換えることが出来る。「何に対して」「どの範囲で「なぜそれを言うか」でその人の人間的発達度合いがわかるんだから笑えないわな。

設置→即時数値反映

っていうのは、快感の刺激だからね。
イイか悪いかでいえば、それ自体は腰も軽くなるしいいことなんだけど、よりソーシャル経験が足りないとか若さ属性が強い人の自己判断では、だいたい使いどころを間違うから、口うるさい見張りが必要になったりする。

甘い汁だけ吸いたいのが人間をはじめそもそも「動物」っていうものだけど、その動物性を制御するのは若さではないので。というか若さとは動物性/本能性と言い換えることも可能なので。

ビビりの条件反射から来る一見慎重な行動も、結局は恐る恐るしているだけで実際慎重というわけではないから、それほど脳みそも動いてないし、「若さ」のもつ穴を埋めることはできない、と。


自分の持つ既得権とその恩恵(既得権益)を正しく理解していることが成熟だと僕は思うし、既得権というのは意識されなければ最大限濫用されまくっているものだし、それは自分にはわからずとも周囲には見えるから、養われている子供の領域とか幼稚さとして未熟という判断を受ける。


ところで、

特にゴールのある話ではない時に人が相手を黙らせようとするのは、喋られたら情報開示によってメンツが保てないとかもっと単に都合が悪いからもあるだろうけど、まず、
自分が相手というマクロを全部(しかも知的に)掌握しておりミクロは取るに足らない情報である
という前提でかかるからだ。

自分は向きあわずとも相手のことは知ってるという思い込みがあるから、身内や、特に親しい人間の話ほど聞かなくなるし聞けなくなる。
この場合の「聞く」は、もっぱら訊ねるの聞くでもある。

同化してる意識でいるとなおのこと聞かないし、ペットのような認識で対峙したり(※)手足のように使おうとすらする。

(※)反抗的な(動物の)ペットや溺愛する(動物の)ペットに対する人間の反応。しばしば相手の判断能力や自立能力、成長率は欠落していることになっている。多くのアドバイス罪もここから発生する。



40〜50過ぎて自分自身がどういう存在でどういう人間なのかまるっと見てない人の妙な自信と人格的劣化は、見てるいるしかないのかな。
その人個人の事だし。
どうしても、割とどんな人も、自分の方が優れている分教えてやらねばという感覚に取りつかれるようです。
手段が、「否定→訓示としての真実の開陳→継承儀式」あらかたこんな感じに落ち着くのもどこも同じようだ。