平均年齢が上がっていった周囲のセージュク

若さゆえにもたらされる不満というのは、大概、「これじゃ快感の刺激が足りないよ」と言い換えることが出来る。「何に対して」「どの範囲で「なぜそれを言うか」でその人の人間的発達度合いがわかるんだから笑えないわな。

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っていうのは、快感の刺激だからね。
イイか悪いかでいえば、それ自体は腰も軽くなるしいいことなんだけど、よりソーシャル経験が足りないとか若さ属性が強い人の自己判断では、だいたい使いどころを間違うから、口うるさい見張りが必要になったりする。

甘い汁だけ吸いたいのが人間をはじめそもそも「動物」っていうものだけど、その動物性を制御するのは若さではないので。というか若さとは動物性/本能性と言い換えることも可能なので。

ビビりの条件反射から来る一見慎重な行動も、結局は恐る恐るしているだけで実際慎重というわけではないから、それほど脳みそも動いてないし、「若さ」のもつ穴を埋めることはできない、と。


自分の持つ既得権とその恩恵(既得権益)を正しく理解していることが成熟だと僕は思うし、既得権というのは意識されなければ最大限濫用されまくっているものだし、それは自分にはわからずとも周囲には見えるから、養われている子供の領域とか幼稚さとして未熟という判断を受ける。


ところで、

特にゴールのある話ではない時に人が相手を黙らせようとするのは、喋られたら情報開示によってメンツが保てないとかもっと単に都合が悪いからもあるだろうけど、まず、
自分が相手というマクロを全部(しかも知的に)掌握しておりミクロは取るに足らない情報である
という前提でかかるからだ。

自分は向きあわずとも相手のことは知ってるという思い込みがあるから、身内や、特に親しい人間の話ほど聞かなくなるし聞けなくなる。
この場合の「聞く」は、もっぱら訊ねるの聞くでもある。

同化してる意識でいるとなおのこと聞かないし、ペットのような認識で対峙したり(※)手足のように使おうとすらする。

(※)反抗的な(動物の)ペットや溺愛する(動物の)ペットに対する人間の反応。しばしば相手の判断能力や自立能力、成長率は欠落していることになっている。多くのアドバイス罪もここから発生する。



40〜50過ぎて自分自身がどういう存在でどういう人間なのかまるっと見てない人の妙な自信と人格的劣化は、見てるいるしかないのかな。
その人個人の事だし。
どうしても、割とどんな人も、自分の方が優れている分教えてやらねばという感覚に取りつかれるようです。
手段が、「否定→訓示としての真実の開陳→継承儀式」あらかたこんな感じに落ち着くのもどこも同じようだ。