苦労って単語はよくわからない

この頃、「自分自身」っていうものを振り返るに、
僕という人間は「本当に」それなりに苦労してきたのではないかと思うようになりました。

頭では分かっているんです。
あれはおかしい、これもおかしい。そういうことが。

でも、理性はどうあれ、根っこの部分では「そういうものだ」という感覚が、無意識でまで
「当然そうだ」と刷り込まれて、そうじゃない状態に対してはそれこそ、
架空のもの・自分には無縁のものという大前提がありました。

大前提です。
そう思おうとしてるんじゃなくて、最初からそうだしそういうものとして、です。


ところで、
人間の問題行動について、医学の分野では大抵病名や症状としての名前がつきます。

準専門的な記事ってあるじゃないですか。
さほどミーハーではない、お勉強して習得する知識分野の内容そのものを、それなりに噛み砕いて紹介してくれる記事です。
専門家が趣味で書くでも、経験者が体験したことを道しるべ的に書くでも、個人広告屋が自分なりに調べてまとめ上げたものでも、集合知として集まったものでも。


そのいずれもに、僕の周辺環境を示すワードの次に必ず書いてある言葉があるのです。
いわく「周囲にいて巻き込まれる人はひどく苦しむことになります。」

んなさらっとひとごとな・・・  ※ひとごとです

でも振り返ってみれば、たしかに「苦しんだ」と表現していいような、繰り返されるいつもの風景に対する傷がたくさんあります。
誰しも少しは傷ついて生きている、傷のない人間なんかいない、そういうカウンターは、この表現をするときは覚悟しますし毎度反論や説得として返ってきますが、そういう、彼らが言う「傷ついた!」じゃないんです。
僕自身、麻痺していましたが、あの継続する苦しみをなんとか乗り越えやり過ごすには、感覚麻痺という、コモンラインの引き下げを繰り返す無意識の内面作業は、確実に必要なものだと今なら思います。
ここに疑問をはさむのは、レイプ被害者を警察の密室に連れ込んで「なぜ逃げなかったんだ、逃げないのが悪い、お前も合意していたから抵抗しなかったんだろう、それは内縁の妻っていうんだよ」と二次レイプかますのと全く同じ道理になります。

僕だけが苦しんでいるなら、それは僕の妄想とか被害者意識とか自意識過剰として、僕自身で処理していましたが、
同じ苦しみを味わった人間が、僕にその苦しみを与えた人たちそれぞれから「行動や人間性を理由に」距離を置いて関わらないようにしているケースを芋づる式に見れば、
「なるほど、僕は人柱として、ともすれば彼らにさえ"奉納"されている」
そう思わずにいられないシーンがたくさん出てきましたし、以前、
「あなたはキーパーソンだし、あなたがいないと全て崩壊するのは事実として間違いないんだけど、あなたはそれを放棄することもできる」と遠回しに言われた意味も、なんとなく見えてきそうなところです。

いや、正直考えるだけでパニックで動けなくなって涙と鼻水出て呼吸もままならなくなるような状態のときに上からそんなことカッコよく言われても困ったっていうのが当時の本音ですけどね。
精神の医者というのは、医療の窓口として人格障害者の「構って」欲を満たしつつあしらうことはできても、判断能力を失うほど追い詰められた人間の心には寄り添えない場所だと個人的には思うので、客の僕に困られても向こうが困ってしまうかもしれません(苦笑










それにしても、

他人がとる不合理で不条理で理不尽な行動を見て、
「どうしてこうなった」って同情の余地を探すことばかりしてきた気がしてる。