生きている亡者

新盆が終わりました。
気疲れなのか普通の体の疲れなのか、ただの夏バテなのか、
自分にもよくわからないくらいには、頭で判断できる現実空間がボンヤリしてかったるいです。

もしかしたら、僕は今一人になりたいのかもしれません。
別にそれは、「心が傷ついた・・・放っておいてくれ・・・」とかそういうのではなく、
ただなんとなく一人になりたいとかそういう方向のやつです。

周囲の風向き的にそれが許されないような、なんだかそんな空気が漂っているのも、「そうしたい」的な感覚が出てくる要因なのかもね。


支配的にしがみついてくる人は厄介です。
周囲から金・体力・時間・精神力・・・あらゆる側面から余裕を奪い、自己を保とうとします。
それは甘えというにも少しズレた位置にある、「被害者の求め」の構図です。被害者の立場を保とうともするので、際限がありません。

余裕を奪われた人たちは、余裕を無さゆえに人を傷つける言動を増やします。端的に、イジメの構造も出たりします。自分の代わりとなるイケニエを捧げる形にもなります。自分の苦しみのコピー存在を生み出したい欲求に駆られて言うなればコモディティとしての「苦しみの正義」を振りかざす行動にも出ます。
苦しいからです。

ようするに、誰にとっての利もありません。
「しがみつく人」には利益があるじゃないかとも思えますが、利益ではなく急速劣化が緩やかになり現状維持できた気分になるだけです。
そのつまらない「何も生まない安心感」を利とは僕は呼びたくないです。


新盆が終わって開放感があったと思ったのもつかの間、

次の休日を使って、一方的にこちら陣営のサイコパス(※ソロプレイヤー)が悪いケンカの、暴動防止に努めに行かなければなりません。
この場合、大抵要請が来るのは僕一人です。他の人から回っても来ますが、その場合は大体僕への伝言です。とはいえ、家族にしても他の身内にしても、いつもなぜか僕を通して要求とか意見を伝えあうので、今更ではありますが・・・(^ω^#;;
ミッションコード「あいつに伝えとけ(ドヤ」です。

僕だって、祖父のことだから積極的に動くのであって、
祖父が関係無かったら祖母のまいた種の回収なんてしたくないし、
話が通じるからって代わりに犯人扱いの生贄になるのも嫌です。


そろそろ、20年以上の慣れを通り越した超具体的な「ウンザリ(物理)」を、体が訴えてきています。
つーか祖母と親父のマジキチコンボに付き合うのが最高潮にいやです。

片方ならまだ対応のしようもあって、
なにより、動悸息切れめまい頭痛の一成砲火とか強烈な肋間神経痛に苦しまずに済みます。
息吸っただけで骨折を疑いたくなる痛みとメリメリ感を耐えないといけないですからね、そこに更に直火灯油とかやめてほしいわけです。まじで悪心きて鼻からえづく。あれもきつい。車酔いのオカルト版的な。

なにより、人が集まる場所っていうのは、決して自己アピールの場ではないということです。
武勲第一の中世の戦場やスペックチェック面談ならアピール(という名の知識武功自慢)も手ですが、自分ではない何かの為に集まった人にすべきはお礼ともてなしと興味を傾けることであって、先に相手にそういう対権力者的なもてなしを求める「関係者」があるか、と思わずにいられません。
交付窓口で延々と嫁の悪口を垂れ流すババアとか自己啓発病患者の呑みニケ強要社長が醜いのと同じ原理でしょうかね。


叔父から、最近会うたびに「ああはなるなよ・・・」と言われますが、
言われるまでもありません、自我がはっきりした25年以上前から、「ああはなるまい」の反面教師です(苦笑



さて、新盆は終わりましたが、
暴動防止の他に、
祖母の為に親父が企画した1泊2日の旅が残っています・・・。
浴場への引きこもりとPCの用意・・・言い換えると、
無邪気に旅を楽しんでるふうにも見える無害系「邪魔できない空気」措置は必須ですなあ・・・。