ロールモデルに付き従う影

ふと思った。

「生きるのが辛い」「生まれてきてごめんなさい」
「オレはやってやる!!(肩に力)」「デキる俺じゃないといけない」

そう思う人は、
自分の人生に対するロールモデルを一度手放すといいのかもしれない。
それは、諦めるって表現もできる。
もっと綺麗に、「明らめる」でもいい。

身体の質に合ってないロールモデルを、自分に課していると
生きるのが苦しくなる。無理矢理ギラついたことを言い出したりする。

生まれてきて今生きてることに対して、
そんな頑張って元を取ろうとしなくてもいいと思う。
思い入れを持つ場所を変えてみましょうよって思う。
与えられた価値観にもうちょっと抗ってみましょうよと思う。

だって結局、やることは、ロールモデル通りにできない自分を嫌って世捨てた態度を見せて、誰かに何とかしてほしいってヒヨコの給餌要求じゃないですか。
そんなことするくらいなら抗おうよ。そういうことする自分に。

ガストとかジョナサンのドリンクバーで「損したくない」ってなみなみとジュースを注いでも、結局ほとんどおかわりにも行けないんじゃ、却ってもったいないじゃないですか。
自己肯定感が低い人ほどこれをしがちだなと、観察していて思った。

いろんなもの飲んだほうが楽しい。
一つのもの飲むならいろんな飲みかたしたい。


自分自身が、自分にあってないロールモデルを押し付けられてきたから、思ったことなんですけどね。
今更鈍感にはなれないから、見え続ける立場からできることを探そうと思った。

ロールモデル(あるべき像)自体を捨てれば、彼らは苦しくなくなる。誰かに、苦しみとともにモデルを押し付ける必要もなくなるでしょう。
ロールモデルがそもそも苦しいものだって思ってるから、ひとにも苦しくなってもらわないと、確認して安心することすらできない・・・それは餓鬼の世界だ。地獄絵図でもいい。


ロールモデルっていうのは、人生のレールとも言い換えられます。

だったら、そのレールは自分でポイント切り替えする権利くらい、
取り戻してもいいんじゃないでしょうか。

自分自身の心に住んでる、命令的な誰かの言うことなんて、
もう、無力な子供じゃないんだから、聞かなくていいんです。
でないと、「あなた」が破壊されてしまう。

あなたしか、あなたを「あなた」足らしめることはできない。