お迎え

先月の末に、父方の祖父が亡くなりました。

とうとう逝くまでもいろいろあったけど、
逝ってからもいろいろありました。

後悔はありません。
まだ直接本人になにか出来るときに僕ができる事は、思いつく限りやったからです。
仏前に足繁く通うみたいなことは、祖母がネックでどうにも足が向きませんが・・・。

祖父は祖母の再婚相手なので僕は血が繋がっていませんが、
僕にとってはどこまでも「おじいちゃん」でした。
小学生の頃にはすでに心身ともに大人のサンドバッグだった僕が安心できる数少ない大木でした。


祖父は、祖父の実家の家族や親せきに僕ら孫を会わせたいと言っていたそうです。

皮肉な事に、それが実現したのは葬式の日だったけど、そういう話を聞いていたので、
初対面の人達にそれはもう慣れ慣れしく「まるで身内のように」振舞いました。
多分それで正解だったと思います。

僕は、親戚とは大抵初対面です。
それは、血の繋がりという領分において閉鎖的な環境で育ってきた、
ということに他なりませんが、それがゆえに、
「”大抵知らない人だから”却って慣れ慣れしくできた」
というわけなので、それはそれで皮肉な話です・・・(苦笑


祖父(骨)と戻ってきてから、いくらか不思議な事がありました。
まだそこに残っているなら、じゃあもうちょっとくらいなら・・・と思うものです。






それで、
ここだけの話、

僕は、祖父は祖母が死に追いやったようなものだ、
と、
心のどこかの拭えない部分で思っています。

職場と奇妙なオープンハズハート

二足のわらじでアルバイト生活を再開することになって、2か月目に入りました。

バイトって、先が無いのが長所であり短所でもあるんですが、
(→これで生きていくことはできないが即金が手に入るようになる)
ちょっといろんなネガティブ要素が重なった環境に置かれたため、年末までとはいえメンタルが潰れるほうが案外早いかなとちょっと覚悟してました。

こういう点ではいわゆる重度鬱っていう病気の後遺症が怖いところです。
セロトニンと気力の関係っていうか・・・、もともと無理で道理を引っ込めていたところが無理の効かない身体になったというのが、行き過ぎていたとはいえ「我慢強さ」という長所を僕から奪ったわけで、
まだ我慢強い系男子とか自称できちゃう程度ではあっても、以前ほど何でも飲み込んで耐えて自責方向に押し込めて、というふうにはいかなくなってしまいました。

こうなると面倒なのが、問題を僕が引き起こしているのではなく巻き込まれているだけの場合、つまり問題が他所にある場合に、より感情的な反発感を感じるようになってしまった事です。

特にそれが、対身内の場合に、向こうは僕に対して周囲の温度差とTPOを考えず、圧力的に接してきますから、周囲の「その人物」に対する戸惑いも加わってきます。
僕は感情を殺して飲み込んで僕の責任として受け取る力が弱くなっているから、それはおかしいです、と言ってしまいます。

・・・というか、4月1日付けで業務内容聞いても答えもない状態で入ってきた僕が、業務内容でなくビジュアルとオノマトペで説明受けて、前のバイトや続投の正規職員と同じようにいきなり働けると求めるあたりが無茶なのですが。
デスマーチ上等のスポ魂ど根性ベンチャーIT土方や、奇人だらけの芸能業・雑誌編集業じゃないんだから。これいわゆる総務だから。

ただ、身内は身内感情のまま、僕に対して職場で癇癪を起します。
僕はそれにたいして、やはり自分の意見を殺せずに場の空気をいとわず「ここは職場で自分は仕事をやっている」と反論してしまいます。
相手はそれで進退極ってより感情的になります。
これでは上手くまわりません。

なにせその人物は、事情はさておき多くの仕事を一人で抱え込んで、大きな人事異動があってろくに仕事の引き継ぎもされていない中、周囲の人たちはその人物に仕事の子細を聞いて何とかやっていた状況で、
その「良くも悪くもキーパーソン」が発狂してしまってはどうにもなりません。

僕がこの歪な親子関係の中でいつも受け入れる役割だった、臨床心理では典型的な「長子特等席・母親のサンドバッグ」という役をこなせない以上、母親が一人で何とか「ぜんぶひとりでできるもん!まわりが未熟で苦労してるんだもん!どうしておもったとおりにならないの!」という思い上がりというか、自分の心に整理をつけるしかありません。
んで、それができる人なら、僕はこんなに「対・構ってちゃん隔離場所」みたいな人格とスキルを身につけてヒサンな人間関係を構築しまくる事もなかったでしょう。


特殊環境というのは、テンプレかどうかの問題ではありません。
想定される運用システム外かどうかです。
それで、僕の置かれた環境というのはやむを得ず冒された「半タブー」です。
人がいなさすぎるから呼ばれたわけです。すたれた表現ですが、ノマド系自営業者は自由なので。


なので、この先どうなるかと思いましたが、
なんとか上手くやっていけそうです。

僕なんかよりも、病気で入院しがちな責任職の方と、母の隣の席で慣れ合い顔を作ってどうにか流してる今年度から入った正規職員さんのほうが心配です。

母には机の上と下と中を捨てろとは言わないけど整頓つけて片付けてほしい。
言って何とかなるなら、母の家も僕の実家もうずたかく埋もれたガラクタ屋敷にはなってないけど。


一方では、父親の職場で汚職逮捕者が出てどうにもこうにも春ですねっていう。
決済進まねーんじゃそら仕事にならんわ、
仕事場でやらかすなっていうのは、ほんとライン止めるなってのと同義だよな、と再確認した。

変化と対応と、高速適応の反動

当たり前のことではありますが、
生活リズムや環境が変わると、ちょっとつらいですね。

いや、
これを「当たり前」っていうと、また精神が体育会系の方々がドヤ顔で説教しに来るでしょうか(笑
物理的道理の話と、根性の話をごっちゃにするような人は、もう僕の周囲にはほとんどいないか、遠いけど。
強い弱いとか、資格とか、人間としてのあるべき到達ランクとか、そういう優劣なもんじゃないですからね。人間が人間としてそこに存在する文脈って。

「人間だけは勿体ながってはいけない」と、ある人がいくつかの実感のもと言っていました。


ということで、
生活リズムと環境が変わって、すこし身体が辛いです。


寝起きする時間とか、めし食う時間とか、そういうのではなく、
・・・それももちろん「不定」から「一定」という形に変わりましたが、

管理するものが増えて、管理の仕方も組みかえて、今までやっていた事を後ろに下げて、生活の仕方も変わってもうすこし時間的にカツカツになって、
「今までのタスク」も継続しようとすると、確実に僕という人間は「"ひとりで自由"な僕としての時間や空間」を失う感じになるので、
考え方のフレームを変える必要が出て・・・それ自体は別にネガティブな事ではないのでいいんですが、前準備も無くいきなり変えることになっちゃったので、身体がついていけていません。
経緯のみに関しては他人に責任を問える内容ではありますけど、いつもそうなものを責めたところで能力や週間の問題に対して改善が見込める可能性は低いので、意味は無いでしょう。


そこに重ねて、
(人に言っても自称系厨二病みたいに扱われてベクトル段階から積極的かつ勝手な思い込みと決めつけで誤解されるのですが、)僕はけっこうよそから感情とか空気とかとらわれみたいなそういうものをもらってしまって、勝手にめちゃめちゃ疲れてしまうほうで、
それで、それも明らかに効いてるし、

さらに、身体が持っているある種身体障害とも言える社会的齟齬から、
他人が当たり前だと思ってそのように処理しているけど僕や同じような人たちにとっては全くそうではない、強烈な「前提」を常に持たれて、
それに準じた行動や反応を無意識と無自覚的常識で期待され、そのストレスで疲れています。


それにしても、名前があるものをはっきり書かないのは面倒くさいなあ。

でもそういうこと書くと、まわりにうるさい人達がいるんです。
僕は彼らのアバターでも人形でもないんですけど、事実はさておき、名前というのは、面倒くさい人たちと共有しようとすると、もっととても面倒くさいです。
彼ら自身がその名前を勝手にレッテルとして扱ってるだけなのに。
自分自身の分かったふりを自覚できない人の存在が、そこに傷ついた人の感情を言葉狩りに向かわせる構造があることを、新聞やメディアからだけでも散々受け取れるだろうに。

自分がどんな信仰を持っているのか、ひとは、もっと自分について深く知らないと自分以外の世界感の存在を「そういうものがある」とすら思えないよね。

実感とか体感がない知識なんて、鈍らせるだけなんだよ。
意志の無い部品か死体と変わらない存在になってるのに、傲慢さとプライドだけは育っていってるじゃない。



どいつもこいつも、
手続きでしかないこだわりをもってたらそいつは捨てろ。

「迷惑」という自覚と贖罪の出どころ

昨日から、父方の叔父の家に行っていました。

いろいろ祖父母の関係でつもる話もあったし、実のところ、叔父の家に親父を挟まず自分単独で行ったことがなかったので、いい加減そういう壁は取り払っておきたかったし、
更に踏み込むと、後悔の無い道を行きたいなんていうちょっと観念的というか壮大な感覚もあったからです。

というのも、
僕はこれまで「子供時代にかけられた管理者の呪い」が強くて、何に付けても罪悪感に苛まれ、「僕は人に迷惑をかけるので"自由"は禁止」という前提をもう無意識レベルで持っていて、
その中でも「僕という生き物がよその家に行く」というのは特に迷惑度合が高く罪の重い行為だったので、
自分ではない断罪権を持つ何者かの「やめろ」というめちゃめちゃ強烈な圧力が、瞬間的に働いてブレーキがかかるものだったのです。

「遠慮」「諦め」の二文字であらわせる子供でした。
その頃の「充ち足りない自分」を解決できないままごまかして生きてきた結果がこれだよ。


今なら、
「祖母も母も父もいわゆるおとなの発達障害、または人格障害ないし脳味噌溶けたアル中ってやつで、そういう世界の住人が自分の人間的非充足感を子供(ペットと分身の中間のような立場の存在)に投影した場合、ああなる」
と、事実も含めそうとらえる事ができるので、あの呪いから脱却しつつあると言えます。


僕は、実は他人に迷惑をかけてよかったんですよ。

なぜなら、
まず、僕一人が他人にかける迷惑やそれによる犠牲というのはたかが知れているから。
そして、迷惑とは罪ではないから。
更に、僕は人からかけられた「迷惑とやら」を迷惑と思わなかった事のほうが多いから。
重ねて、迷惑というのは実は大人が子供に言いきかせる内容ほどには、範囲の広いものではないから。


僕はおとなに、いちびられていたんです。

僕が僕という1人の人間であり自由な存在であることに対して、ムカついたり理解できない人がいて、その人達がそのムカつきを感じるたびにいちびられていたわけです。
そして、僕をいちびらない人たちと距離を置くよう、判断力の弱い子供のうちに言い聞かせていたわけです。
それは彼ら自身も自覚の無い無意識の行為で、本人にも止めようがなかったでしょう。
人間の発達・成熟度というのは、発言・行動や状況に対しての自覚の割合で測れると僕は思います。
でも、このように生きたサンドバッグを製造していたことは、事実上の結果であって、甘んじなければ罪悪感を感じるように子供を洗脳する事は、可能だし、何をどうするかをさておけば教育とは言いかえれば「洗脳」の事です。
自分の意にそぐわないものをボコボコにする行為は、当然どころか正当性も妥当性も合理性もない、選択肢として分不相応な行為です。

「おまえはもうとにかく「迷惑」ったら「迷惑」なやつだから支配されて当然だし逆らったらどうなるかわかってんな?」
なんていう無意識にまで刻まれた呪いを断ち切れば、人間これほどまでに清々しいのかと思うと、苦笑いも出ようというものですよ。


叔父もまた、子供の頃から親父(叔父から見た兄)や祖母(叔父から見た母親)におなじような理由で苦しんだ人間なので、要所要所でシンパシーは強いです。





それはそれとして、

日帰りで行ってくるつもりが、食卓を囲んで泊まってお土産を持って帰るという予想GUYの展開で、いろいろと得るものがありました。
予定はカツカツになったけど、多少遅れたところで日程的に手遅れ直前になるまで返事をしない人に遅くなった責任は取ってもらうってことで。
使われる身分で言うのもなんだけど、持ちかける側にも職責ってものがあってですね・・・

「雑記」

かみじょうです。
ひさしぶりになんかかきます。

マイぷれすのサービスが終わってから、僕自身のための文字は書かなくなっていました。

どうにもやはり、インターフェースやデザインってのは、重要ですね。
今はChromeを使っていますし、モニタとしての便利さもChromeが上ですが、組み立てる一点においてはインターネットエクスプローラの仕様が、僕には合っているようです。


それから、

なぜ以前は毎日を記録できていたのか、最近になって理由が分かるような気がしてきました。
それは「日々」を文字に換える作業ですが、そもそも文字に換える動機として、僕はずっと漠然とした不安を抱えていたのだと思います。
だから、そのアイデンティティレベルの居心地の悪さが証明されないのに何も書かなくなったとしたら、それは僕自身の死だとか、僕が僕として生きることを諦めたとかいった結果が見えていたのでした。
頭の中の、僕という人間が抱えるモヤモヤを解消するためのきっかけに文字を使うのが、この雑記の最大の役割でした。

自分が自覚する以上に、ろくでもないものをたくさん抱え、にっちもさっちもいかなくなった時、自分のウェブサイトを持った時に始めてみたこの「雑記をかく」という毎日の習慣が、恩人の言葉通り僕を救っていたのでした。

ところが、僕は、ある時突然恵まれました。
吐き出すよりも、インプットすることが僕と言う人間の主観や認識にとって重要になった瞬間なのかもしれません。
更に、生まれて初めて、自分自身の内面の事だけで手一杯になりました。
だから、ずっと雑記に向かっても何もフレーズが浮かんでこない時期が何年か続きました。

そして、一時的に「雑記」は本来の意味では必要なくなりました。
僕は個人的な意味で幸福で、幸福がゆえに慌ただしくなったからです。
不満が出ても、それは幸福がベースにあるために即物性というか具体性があり、誰かと対話して対症療法で解決できるもので、雑記で文字にして固定させる必要はなくなっていました。


それまではずっと、目を背けて考えないようにして、そしてそこに自分以外の人間を一切踏み込ませた事はありませんでした。
自分以外の人間を、信頼や信用はしても、それは社会的な能力や人格の役割上のはなしで、もっと内輪的な、内面部分も込み込みで背中を預けられる人間が存在するという頭が無かったからです。

実際、
いませんでした。

そして、あまりに一方的な男女トラブルが多く、何度も何度も振り回されました。
祖母や両親からずっと受け続けた破壊的メッセージというか、「劣等・被支配の暗示」かかっていた僕は、わかりやすいほど「そういうキャラ」をそばに置きたがるタイプを引き寄せました。
僕にとって「モテる」とは、ただの自虐ネタです。「わかったつもりの救世主気取り」や、「見た目と理想で他人を縛るカラまわりさん」を揶揄してるだけです。

そういうのをはじめとした種々のトラブルに疲れ、人間不信と対人恐怖に陥った自我を、いろんな学問知識でコーティングし、他人を強引に許していました。「〜〜なものなのだから仕方がないんだ」と。
実際問題、僕にトラブルを運んでくる彼らも、問題を抱えていました。僕は僕で、いつもそういうところを言われる前に見ちゃって、彼らのほしいものを与えようとしてしまっていたから、同罪でした。無自覚でも、それは罪です。だから、鏡面のように「罰」として彼らの存在があったのかもしれません。
「何も言わないのに良く分かっていてくれるよね」「一番理解してくれる」
そういう言葉を引き出していたのは僕でした。同罪です。言わせたようなものです。
意識する前に見えちゃうものを、どうしようもないですが。

人間は、基本属性として自分本位なものです。
「良さ」というものは教育や教養に由来します。
僕は運よく、ボーっとレールの上を生きればいい環境にはいませんでした。とても多くの反面教師に恵まれ、人として必要な自信を失い、押し潰されはしても、反逆心に満ちていました。
嫌な人間がアレな事をしたら、絶対に真似はすまいと誓うものです。
子どもであればあるほどに。


それらの枷が、ある時ふと外れて、僕の精神はにわかに忙しくなりました。
いろいろな要素がランドマーク的に、繋がって、「自覚」として分かってきたからです。

でも、それは凄まじい情報量でした。
未だに、言葉にするにはまとまらない、見つからないものも多いです。

まとまったものなんてせいぜい、モンハンで鬱病が治ったってこととか、
大人が子供に押し付ける「精神論社会論的"資格"」の正体くらいです。




なんで今また雑記なんて書いてるのか、
それは、僕がまた不安になっているからだろうなと自分で思います。

一歩先の足元が真っ暗で、先に見える光も無く、不安です。



なにがもっとも不安かって、
その不安の正体がつかめない事です。

とびだせ どうぶつの森、欲しいんだけど・・・まとめ + 業者の現状

とびだせ森のどうぶつ!

いまさらですが、
とび森発売まで2週間切りましたね。

3DSLL限定モデルの同梱パックも、いい感じだと思ったんですが、
案の定、予約開始とほぼ同時に品切れましたね。
ネットオークションでは今から表立って在庫10も抱えて、開始価格=希望小売価格で売りさばきにかかってるバカもいましたし、
ニンテンドー3DS LL とびだせ どうぶつの森パック (SPR-S-WBDC)
↑のamazonページ見ると分かるけど、
28,000〜34,500!amazonよ?
ボッタじゃん。

公式ページ http://www.nintendo.co.jp/3ds/hardware/pack/egdj/index.html を見れば分かる通り、メーカー価格(つまり通常の最高価格)は23,000円弱。

発売前の予約段階からここまで露骨にプレミアつり上がってんのは、もちろん任天堂側の森人気の読み違い・・・というかいつもの卑屈にも見える弱腰少量生産ももちろんあるとは思うけど、
転売用に目の色変えて買占めに走ってる「プレイする気すらない」目先オンリーな連中が原因なのは言うまでもないですね。
コンサートチケットならあんなダフ屋行為は違法っすよ?違法。

例によって・・・というか、出品者全員が個人か露骨な悪質業者しかいないのはね、
むしろ壮観ですよ。

誰かさんがドヤ顔で言っていた「伝統ある○○を汚す云々」っていうのはね、こーいう状況のことをいうわけよ。
「販売代行者の面汚しもいいところだな」ですわ。

とりあえず、日付は今月25日のNintendoDirect*1でも伏せられていましたが、回数を分けて増産予定はあるようなので、
ああ、任天堂FE覚醒KH3Dで学習したんだな、ってところです。

とはいえ、ソフト単体のほうも業者が入って吊り上がってましたしね、
とびだせ どうぶつの森
この間のNintendoDirectの新しい増産情報が出てから、6000円声していたところから多少は落ち着きましたが、発売前からこれは、もうモラル方向の問題のような気もしますよ。

必死な奴はモテねえよ?



それにしてもLLかー・・・
少なくとも、スターフォックスはLLサイズでやりたいなあ。

流行り神 − いちおうクリア

残すところ、ゆうか編があと1%のみなので、ここでギブアップは悔しいんですが、
しらみつぶしにやって確認できるところはすべて通りました。

完クリとは言い難いです・・・w

ここまでやったからには完全踏破したかったな・・・
しかし、あとはデバッグ作業のような神経のすり減る確認作業になる事は分かっているので、ここで終わりです。

流行り神(1)クリア!

流行り神PORTABLE 警視庁怪異事件ファイル
流行り神PORTABLE 警視庁怪異事件ファイル
日本一ソフトウェア (2005-12-15)

お疲れさまでした!!


映画版『流行り神』のほうも、
無期延期が決定しましたね。
http://nippon1.jp/20th/news/apology.html

世知辛い世の中だ・・・
見てみたかった。