変化と対応と、高速適応の反動

当たり前のことではありますが、
生活リズムや環境が変わると、ちょっとつらいですね。

いや、
これを「当たり前」っていうと、また精神が体育会系の方々がドヤ顔で説教しに来るでしょうか(笑
物理的道理の話と、根性の話をごっちゃにするような人は、もう僕の周囲にはほとんどいないか、遠いけど。
強い弱いとか、資格とか、人間としてのあるべき到達ランクとか、そういう優劣なもんじゃないですからね。人間が人間としてそこに存在する文脈って。

「人間だけは勿体ながってはいけない」と、ある人がいくつかの実感のもと言っていました。


ということで、
生活リズムと環境が変わって、すこし身体が辛いです。


寝起きする時間とか、めし食う時間とか、そういうのではなく、
・・・それももちろん「不定」から「一定」という形に変わりましたが、

管理するものが増えて、管理の仕方も組みかえて、今までやっていた事を後ろに下げて、生活の仕方も変わってもうすこし時間的にカツカツになって、
「今までのタスク」も継続しようとすると、確実に僕という人間は「"ひとりで自由"な僕としての時間や空間」を失う感じになるので、
考え方のフレームを変える必要が出て・・・それ自体は別にネガティブな事ではないのでいいんですが、前準備も無くいきなり変えることになっちゃったので、身体がついていけていません。
経緯のみに関しては他人に責任を問える内容ではありますけど、いつもそうなものを責めたところで能力や週間の問題に対して改善が見込める可能性は低いので、意味は無いでしょう。


そこに重ねて、
(人に言っても自称系厨二病みたいに扱われてベクトル段階から積極的かつ勝手な思い込みと決めつけで誤解されるのですが、)僕はけっこうよそから感情とか空気とかとらわれみたいなそういうものをもらってしまって、勝手にめちゃめちゃ疲れてしまうほうで、
それで、それも明らかに効いてるし、

さらに、身体が持っているある種身体障害とも言える社会的齟齬から、
他人が当たり前だと思ってそのように処理しているけど僕や同じような人たちにとっては全くそうではない、強烈な「前提」を常に持たれて、
それに準じた行動や反応を無意識と無自覚的常識で期待され、そのストレスで疲れています。


それにしても、名前があるものをはっきり書かないのは面倒くさいなあ。

でもそういうこと書くと、まわりにうるさい人達がいるんです。
僕は彼らのアバターでも人形でもないんですけど、事実はさておき、名前というのは、面倒くさい人たちと共有しようとすると、もっととても面倒くさいです。
彼ら自身がその名前を勝手にレッテルとして扱ってるだけなのに。
自分自身の分かったふりを自覚できない人の存在が、そこに傷ついた人の感情を言葉狩りに向かわせる構造があることを、新聞やメディアからだけでも散々受け取れるだろうに。

自分がどんな信仰を持っているのか、ひとは、もっと自分について深く知らないと自分以外の世界感の存在を「そういうものがある」とすら思えないよね。

実感とか体感がない知識なんて、鈍らせるだけなんだよ。
意志の無い部品か死体と変わらない存在になってるのに、傲慢さとプライドだけは育っていってるじゃない。



どいつもこいつも、
手続きでしかないこだわりをもってたらそいつは捨てろ。