人をイライラさせる人

このごろどうにもいらいらします。

理由はもうシンプルで、
人をイライラさせる人が近くにいるからです。

別に自分だけがそのひと(たち)にイラつくなら、
対象が自分の出来事が群発的に起こる=自分自身に原因がある
ってことで、他人に対してイラつく自分を分析できます。

ですが、そうではない場合、つまり
その人たちに関わった人が軒並み苛立ったのを見てきたというような状況証拠を定点観測的に持つ場合、正しくその人たちは「周囲をイラつかせている」と評価を下すことができます。



不満ってやつの根っこは、2種類あります。

自分自身が外に期待することから始まる不満と、
「される」を避けられなかったことに始まる不満です。

後者も、"「される」をしないでほしいという期待"と言うこともできるので
ちょっと複雑というか難しいですが、
距離をとることが難しいのであれば、対策の難易度は跳ね上がります。




で、

後者をもたらす人、言い換えると、他者に害をなす人ですが、
この人たちどうも、無自覚というよりも意識変容してるのではないかと
今日サンドイッチされて、思うようになりました。

自覚はある、けどその「自覚」を
別のもっと権威的な好ましいものとして認識している。
(そうすることによって、他人に害をなす正当性を保証されたような気分になるという、カタルシスを得る=>カタルシスなので、「怒る」「無視する」という、マウンティング型の表現が多い)

でも自覚のもとのかたち(変容したのだから原型を保っていた時期がありその時点で生まれたものの中には、変容しないまま残ったものがある)も、自覚無自覚/記憶にあるかどうかはさておき少なくとも体験しているので、
自己正当性の保障を常にしないと落ち着かない、と。





ざっくりまとめて書き直すと、

僕は、不当な攻撃をこのごろ特定の複数人物から受け続けており、言葉巧みに僕にだいたい罪をかけてくる上(=責任を作る)、
自慢話と僕の知らない(=興味もないしどうでもいい)お仲間グループの、個人名バリバリな内輪トーク+おのろけ+時系列潤の一挙手一投足の解説を、数時間単位で居座られ聞きつづけ、
そもそもどいつも言ってることが要領を得ないのがさらに苛立ちをあおるので、だいぶメンタルに来てます。

おう、まとまったね。これで自己解決に近づけます。




で、そういう状態で、ことあるごとに八つ当たりをされます。
僕がイライラすること自体がお気に召さない癖に、干渉してくるので、休まりません。

文字通りのかまってちゃんなわけです。
かまってちゃんは、自他境界があいまいな人が極めて多いです。別名「どこでも私有地」ちゃんです。他人が自分を気持ちよくしてくれないのが悪いと思ってる人が多いです。

そしてたいがい後出しで、たいがい劇場型性格よろしく感情を振りかざしたかのようにふるまって威嚇をします。人のほうを向いて会話をせず、だいたい上から目線から始まります。




いやなら関わらなければいいのにね。
いやである=周囲が悪い、の方程式が欲しいから、嫌な場にそこを作り替えます。でも気心が知れている(=多少の無茶は許されるし甘えさせてくれるだろうと思われる)人のところでしか行いません、よそにはすげーイイ顔します。

そのうえ彼らは言い訳がましいから、自ら関わり、いつまでも喋り続ける。

そして被害者を気取り、何も知らない誰かに、捻じ曲げた妄想を伝えてかわいそうがられてどうでもいい虚栄を満たす。



受動的に受け取りたければ、それだけの器量を自らにあらかじめ用意すべきだと僕は常々思うんですよ。